年末が近づくと、デパートのチラシやテレビの特集で目に留まる、きらびやかなおせち料理。漆塗りの立派なお重に、色とりどりのお料理がぎっしりと詰められていて、見ているだけで心が華やぎます。
でも、その一方で「そもそも、どうしてお正月におせち料理を食べるんだろう?」「いつから始まった習慣なの?」なんて、素朴な疑問が浮かんできませんか?
こんにちは、「こよみ暮らし」の、こよみです。慌ただしい毎日の中で、ふと立ち止まって考える「これってどうして?」。おせち料理も、そんな疑問の宝庫ですよね。
この記事では、「なぜお正月におせちを食べるのか」という根本的な疑問に焦点を当て、その歴史や由来、そしてお重に詰めること自体の意味まで、じっくりと深掘りしていきます。
この記事を読み終わるころには、おせち料理が持つ文化的な深みに、きっと驚かれるはずです。

第1章:おせち料理の歴史をたどる旅。その起源は平安時代にあり
まず初めに、おせち料理がいつ、どのようにして生まれたのか、その歴史から見ていきましょう。
実は「おせち」という言葉のルーツは、千年以上も前の平安時代にまでさかのぼります。それは、もともとお正月だけのものではなく、季節の節目ごとに行われる宮中の大切な行事の一部だったのです。
「御節供(おせちく)」の誕生
おせち料理の「おせち」は、漢字で書くと「御節」。これは、季節の変わり目である「節(せち)」の日を祝う「節日(せちにち)」に、神様にお供え物をする「御節供(おせちく)」という宮中の行事が由来です。
古代中国から伝わった暦の考え方では、季節の変わり目には邪気が入りやすいと考えられていました。そのため、節日に神様へ収穫の感謝を捧げ、宴を開くことで邪気を払い、無病息災を願ったのです。
この御節供で神様にお供えされ、宴で振る舞われたお料理のことを「御節供料理」と呼び、これが現代のおせち料理の原型となりました。当時は、お正月だけでなく、桃の節句や端午の節句など、年に何度も行われていたんですよ。
江戸時代に庶民文化として花開く
宮中の行事だった御節供が、庶民の間に広まったのは江戸時代のこと。幕府が節日を「式日(しきじつ)」という公式の祝日として定めたことで、一般の人々もお祝いをするようになりました。
生活が豊かになるにつれて、人々は節日の中でも最も重要であるお正月に、特別な料理を用意して盛大に祝うようになります。こうして、年に何度もあった御節供料理は、次第にお正月料理の代名詞として「おせち料理」と呼ばれるようになっていきました。
つまり、おせち料理とは、季節の節目に神様への感謝と人々の願いを込めて作られてきた日本の食文化が、江戸時代にお正月の祝い料理として集約され、花開いたものなのです。
第2章:おせちに込められた3つの大切な意味
歴史を紐解くと、おせち料理が単なる豪華な食事ではないことが分かりますね。続いては、その背景にある3つの大切な意味を、さらに詳しく見ていきましょう。
意味1:歳神様(としがみさま)へのお供え物
おせち料理の最も根幹にある意味は、新しい年の神様である「歳神様」へのお供え物である、ということです。
歳神様は、元旦にそれぞれの家にやってきて、その年の豊作や家族の安全をもたらしてくれると信じられている、とても大切な神様です。おせち料理は、その歳神様をお迎えし、もてなすための特別なごちそうだったのです。
そして、年が明けてから家族でいただくおせちは、神様にお供えしたものを下げて食べる「お下がり」としての意味合いを持ちます。神様と共に食事をする「神人共食(しんじんきょうしょく)」によって、その力を分けていただき、一年間のご加護を願う。おせち料理は、人と神様とをつなぐ、神聖なコミュニケーションの役割を担っていたのですね。
意味2:家族を労う「お休み料理」
おせち料理には、もう一つ、とても現実的で、思いやりに満ちた意味があります。
それは、お正月の三が日は、かまどの神様を休ませるため、そして毎日家事を頑張る女性たちを労うために、炊事をしないという風習です。
昔の女性たちは、今では想像もつかないほど、日々休むことなく働き続けていました。そんな女性たちに、せめてお正月くらいはゆっくり休んでほしい。そんな優しい気持ちから、日持ちのする料理を年末のうちにたくさん作っておく、という暮らしの知恵が生まれました。
冷蔵庫がなかった時代、料理を長持ちさせるためには、お酢を使ったり、濃いめの甘辛い味付けにしたりする必要がありました。おせち料理に味がしっかりした品目が多いのは、こうした先人たちの暮らしの工夫の名残なのです。
おせち料理は、神様への感謝だけでなく、一年間頑張ってくれた家族への「ありがとう」が詰まった、愛情深い「お休み料理」でもあったわけです。
意味3:国民全員の誕生日を祝う「お祝い料理」
そして、もう一つ面白い由来があります。それは、昔の年齢の数え方に関係しています。
かつて日本では「数え年」といって、生まれた時を1歳とし、その後は元旦を迎えるたびにみんな一斉に年をとる、という考え方が主流でした。つまり、お正月は、家族みんなが一つ年を重ねることをお祝いする「国民全員の誕生日」のような日だったのです。
家族全員が無事に新しい年を迎えられたことを祝う、とてつもなくおめでたい日。そんな特別な日に食べるお祝いの食事が、おせち料理でした。
現在では数え年の習慣は薄れ、一人ひとりの誕生日を祝うのが当たり前になりました。しかし、おせち料理が持つ「お祝い」の心は、形を変えて今も受け継がれています。過ぎた一年を無事に過ごせたことへの感謝と、これから始まる新しい一年が素晴らしいものになるようにという願い。そのお祝いの気持ちは、今も昔も変わらないのかもしれませんね。
第3章:なぜ重箱に詰めるの?お重と祝い箸のしきたり
おせち料理といえば、美しいお重に詰められている姿を思い浮かべますよね。この「お重に詰める」というスタイルにも、実は大切な意味が込められています。
「福を重ねる」という願い
おせち料理をお重に詰めるのは、「めでたさを重ねる」「福が重なるように」という縁起を担ぐためです。たくさんの幸せが、幾重にも重なって訪れますように、という願いが込められているのですね。
また、重箱に詰めることで、保存がしやすく、お正月に訪れるお客様にも振る舞いやすい、という実用的な側面もありました。
正式なお重は五段重ねで、上から「一の重」「二の重」「三の重」「与の重(よのじゅう)」「五の重」と呼びます。「四」は「死」を連想させ縁起が悪いことから、「与」の字が使われます。
五段目は「控えの重」とされ、歳神様から授かった福を詰める場所として、空にしておくのが習わしでした。現代では三段重が一般的ですが、この「重ねる」という心は大切に受け継がれています。
神様と共にいただく「祝い箸」
おせちをいただく際には、「祝い箸」と呼ばれる特別な箸を使います。
祝い箸は柳の木で作られており、両方の先端が細くなっているのが特徴です。これは、片方を人が使い、もう片方は神様が使うためとされ、「神人共食」を意味しています。
お正月の間、自分専用の箸として使うことで、神様のご利益をいただき、一年間の無病息災を願うのです。
まとめ
お正月の食卓を彩るおせち料理。その歴史を紐解くと、単なるお祝いのごちそうではなく、日本の豊かな精神文化そのものであることが分かります。
- 歴史:平安時代の宮中行事「御節供」がルーツで、江戸時代にお正月の祝い料理として庶民に広まった。
- 意味:歳神様へのお供え物であり、家族を家事から解放する知恵であり、家族全員の成長を祝うごちそうでもあった。
- しきたり:お重に詰めるのは「福を重ねる」ため。祝い箸を使うのは「神様と共にいただく」ため。
こうして由来や意味を知ると、おせち料理がより一層、ありがたく特別なものに感じられますね。
さて、この福が重ねられたお重の中には、具体的にどんなお料理が詰められているのでしょうか?一つひとつのお料理に込められた、さらに詳しい願い事については、こちらの記事で網羅的にご紹介しています。 ぜひ合わせてご覧ください。
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